E1_江戸城と町割り_日本橋
- 解説
- 橋の規模は、全長28間(約51メートル)、幅4間2尺(約8メートル)ですが、ここでは北側半分の14間を復元しました。復元にあたっては、1806年と1819年の改架記録や絵画をもとにし、用材は橋杭(はしくい)・梁(はり)・桁(けた)・親柱などは槻(けやき)、高欄(こうらん)、床板などは檜(ひのき)を使いました。唐銅(からかね)製の擬宝珠(ぎぼし)のうち2本は現存する「万治元戊戌(まんじがんぼじゅつ」(1658年)の銘入りの実物をもとに復元しました。
E1_江戸城と町割り_寛永の大名屋敷
- 解説
- 江戸城本丸大手門の前に建てられた越前福井藩主・松平伊予守忠昌(まつだいらいよのかみただまさ)(1597~1645)の上屋敷です。広大な敷地に桃山風の豪壮な建物が建っていましたが、明暦の大火により焼失し、以後このような華麗な大名屋敷は姿を消しました。復元にあたっては、「伊予殿屋敷指図(いよどのやしきさしず)」(岡山大学池田家文庫所蔵)、「江戸図屏風」(国立歴史民族博物館所蔵)、「甲良向念覚書(こうらこうねんおぼえがき)」(東京都立中央図書館所蔵)などをもとに復元しました。
E1_江戸城と町割り_寛永の町人地
- 解説
- 江戸初期、日本橋北詰付近の町人地です。「寛永の大名屋敷」松平忠昌(ただまさ)の上屋敷とほぼ同じ面積を復元しました。敷地が広く多くの建物が建っていた大名屋敷にくらべ、町人の家は一戸一戸がきわめて狭かったことが理解できます。「江戸図屏風」(国立歴史民俗博物館所蔵)、「江戸名所図屏風」(出光美術館所蔵)、「武州豊嶋郡江戸庄図(ぶしゅうとしまのごおりえどのしょうず)」(国立国会図書館所蔵)などをもとに復元しました。
E1_江戸城と町割り_幕末の江戸城ー本丸・二丸御殿ー
- 解説
- 江戸城の中心部である内堀に囲まれた内郭は、本丸・二丸・西丸・吹上御庭などから構成され、本丸・二丸・西丸にそれぞれ御殿がありました。本模型は、このうち本丸御殿・二丸御殿の幕末期における様子を1/200で復元したものです。本丸御殿の建坪は約1万1373坪(弘化期)で、江戸時代における最も規模の大きい木造建築群の1つでした。
E1_江戸城と町割り_江戸城本丸 大広間・松の廊下・白書院
- 解説
- 諸大名が将軍に拝謁(はいえつ)する大広間、それに続く松の廊下、勅使(ちょくし)との対面などに用いられた白書院(しろしょいん)、大広間には付随する能舞台(のうぶたい)を復元しました。建物は1845年(弘北2)の再建時の図面をもとにし、襖(ふすま)や壁・天井などの絵は弘北期(1844~48年)につくられた「江戸城本丸等障壁画絵様(えどじょうほんまるとうしょうへきがえよう)」(東京国立博物館所蔵)をにもとに復元しました。